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介護体験談京都府支部報(2005年12月)より
過ぎ去りし日々…京都府 Hさん
今年もいよいよ押し詰まってまいりました。月並みな言葉だが本当に月日の経つのは早いもの、結婚して30年が経った。ハルコさんとの付き合いも30年、そのうちの半分足らずが認知症との戦いだったことになる。 しかし、長男の嫁としてしっかり者の姑ハルコさんとこの家に暮らした私にとっては、正直それ以前の違う意味で大変だった。嫁の立場を優先してしわ寄せを受けたのはやはり子供達。辛い思い、理不尽な仕打ちから来るくやしい思いを随分させたと思う。子供達は私を気遣ってか「おかげで強くなれたからよかったよ。」と今となっては言うが、私は親として子供を守ってやれなかったという痛みを今も拭い去る事が出来ない。だからハルコさんが認知症とわかったとき今度こそは絶対子供を守ると思い、子供達をできるだけ介護から切り離そうとした。子供達は介護が一番大変だった当事、二人が高校生、一人が予備校生だった。 そんなある夜、体の不自由な舅が下痢をしてトイレに間に合わず大失禁、体だけでなく部屋中が便まみれになった。慌てて始末をしようとするとハルコさんが床の間でしゃがんで用を足しだした。万事休す、泣きたい気持ちをこらえてまずは畳の上から始末、そうしなければ足の踏み場もない。下を向いて遮二無二拭いているといつの間にか息子がそばにいた。頑なな私はここでも息子に嫌な事はさせまいと決め、知らん顔して拭いていた。すると息子が「タオルちょうだい」と言った。「えっ?」と言いつつとっさにタオルを渡すとしゃがんで黙々と舅の足に付いた便をきれいに拭きだした。涙ぐむ舅。それから下着を替えて服を着せている。その息子の姿を見た時、頑なな私の心は一気に崩れてしまって涙が後から後から流れた。惨憺たる状況にもかかわらず静かな時間がそこにはあった。 またある朝、洗濯場にハルコさんの汚れた下着やタオルが置いてあった。「あれ?」と思っていると娘が「夜中におばあちゃんの声がするし行ってみたら廊下でおしっこしてはってな、お母さん起こさんでもできることやし、哲(息子)と一緒に始末して寝かしたよ。」と言った。そして息子が言った。「お母さんは僕らに何も言わんと一人で何でもしようとするやろ、でも見てたら大変なんはわかるから黙ってられると嫌なんや、何でも言うて欲しいんや。」と。私は何とも返答ができずただ黙ってうなずくしかなかった。 もう一人の娘はハルコさんが認知症かどうか曖昧だった頃、「殺してやる」と包丁を持って追いかけられたことが心に深い傷を負わせ、今も立ち直れないでいる。おばあちゃんとは思わず、何の感情も関心も持たないようにすることで何とか乗り越えようとしている様子。結局認知症という病気は家族一人一人の人生に何らかの影を落とし、それは恐らく一生消える事はない。私が、自分の介護生活を前向きにとらえるとかマイナスにしたくないと思うこととは次元の違う、重い現実がそこにはあるのを思い知らされる。
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