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介護体験談呆け老人をかかえる家族の会 兵庫県支部版
兵庫県支部だより(2004年5月25日120号)より 自分自身の生活も大切にしながら神戸市 O
悲喜こもごもの日々母の様子に異常を感じたときからはや18年の歳月が流れました。60過ぎだった母はもう80歳になりました。どうしてよいやら分からず不安と悲しさの中で母のもとへ通った8年間。アルツハイマー型痴呆症が病気だと承知しつつ、それでも不思議な行動をとる母にいらだち、自分の感情を押さえることができなかった中、デイサービスやショートステイに支えられ、なんとか過ごしてきた在宅時代の7年。そして7月が来ると施設入所して3年がたちます。長いようで短くその時々でうれしかったり悲しかったり、まさに悲喜こもごもの18年間でした。 ひと暮らしが成り立たなくなり3人目の子ども育てるつもりで同居したものの母はやはり母。子どもではありませんでした。70年を生きてきた母の変わっていく姿を見つづけるのは至難のわざでした。 在宅介護に限界を感じ・・・介護保険導入後はいかにサービスを利用するか、どうすれば介護度3の中で最大限利用できるのか、ない頭をめぐらせたものでした。その当時の私はいつまでも在宅介護が続けられると錯覚していました。ところが頭のおとろえに伴って身体も弱ってきます。住居のこと、家族の生活のことを考えるとやはり在宅介護に限界を感じてきました。 幸い、今お世話になっている施設が受け入れて下さり入所することができました。よい介護をしてもらっていると思います。私の身体もずい分楽になりました。在宅介護だけが介護でないとは分かりつつ、介護放棄したような思いにとらわれて、しばらくは自分の気持ちを持て余しました。 胸のつかえがとれて・・・ところが何回か面会に行っているうちに、痴呆独特のよく似た顔で姉妹同士のようにまわりのお年寄りとソファーに座っています。穏やかな何の心配もないという表情です。それをみた時に胸のつかえがとれていきました。在宅介護に対して家族はずい分理解し協力もしてくれましたが、やはり母を主役にしてやることはできませんでした。 施設でお世話になることが、母にとって一番よかったのではないかと思えてきました。 感情は衰えていないのだと最近の母は時々大きな声を出してテーブルをたたきます。面会に行った時にそのようなことがあると、娘としては周囲にも職員さん達にも申し訳なく思います。その時、職員さんが「声を出すことはとても大切なことで、怒鳴り声でも何でも声は出してもらうほうがよいのです。出さなくなると飲み込む力が弱くなりますから、そんなことは気にしないで下さい」と言って下さいました。ほっとしたあとに、とてもうれしくなりました。 今日面会に行くと母が泣いています。くちびるも少し動いています。「みかんの花咲く丘」のメロディーが流れています。母に近づくと「いつか来た丘かあさんと・・・」と、とぎれとぎれに母が歌っています。こんなになっても歌は覚えているし、なつかしい感情もおとろえていないのだと思うと、母がいとおしくて久々の感動でした。 私がしてやれることは・・・施設入所すると、私はしてやれることは数えるほどしかありません。時々出かけて行って食事の介助をすること。身体をさすってやること。季節毎の衣類を購入すること。私が施設を、職員さんを信頼すること。そして、家族として協力できることはさせてもらおうとする姿勢くらいでしょうか。 母をひきとったときに仕事を辞めた私は、すべて母の介護のために犠牲になったと思い込み、ずい分ひどい言葉を投げかけたものでした。「私の人生をおかあちゃんが奪っていいと思うの?」呆けていく母が「あんたの人生って何ですのん」と切り返してきたことが、今なつかしく思い出されます。介護を通して「人はひとりで生きていけない。人と人とのつながりが大切」と呆けた母が教えてくれたのに・・・。 少しでも長く・・・痴呆以外に別の病気も持つ母です。いくらひいき目にみてもターミナルは近い将来のように思えます。でも、施設に行けばそこに母がいてくれる。在宅のときとは違う関わり方ですが、時間の許すかぎり会いに行きたいと思っています。自分自身の生活や仕事も大切にしながら、母の穏やかな生活を少しでも長く見守りたい。今の私の願いです。
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