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介護体験談呆け老人をかかえる家族の会 山梨県支部
あした葉(2004年2月25日 29号)より 見守り山梨県 Y.H
私が大阪から山梨へ嫁いで、姑と暮らし始め、今年で30年になります。その姑もこの2月で満91歳。終戦と同時に、小さな子供3人をかかえ、リュック一つで夫と共に朝鮮から引き上げてきた姑は、日本国民のほとんどがそうであったように、生きるため、食べるための苦労の連続だったと聞いています。引き上げ後に生まれた2人を加え、5人の子供を育て上げた姑に、後に5歳を頭に4人の子持ちになった私達夫婦はどんなに助けられたことでしょうか。 やっと子供にも手がかからなくなった、今から15、6年前、「お金が無くなった」、「お父さんが浮気している」、「娘が着物を持っていった」という典型的な痴ほうの初期症状が姑に現れ始めました。被害妄想の集中攻撃を受けたのは舅でした。間もなくして、その舅が他界。攻撃目標は、私共の息子へと移っていきました。いわれなき疑いをかけられた息子が反抗的になった時期もありますが、成長するにつれ、姑と上手に付き合う術を身に付けていきました。少々乱暴な言葉づかいではありますが、姑に気軽に声をかけてくれます。その言葉の端々に「痴呆のおばあちゃん」への思いや、やさしさを感じた時、我が家ならではの良い勉強ができているのだと自信がもてるようになりました。今では自分の名前、年齢、住所は勿論、自分の子供の顔も、私達家族との関係も分からなくなっている姑ですが、幸い、進行は緩やかで、穏やかな生活を送っています。不安やストレスを感じることが少なくなったのか、真っ白だった髪がだんだん黒くなってきています。 私達夫婦の介護のモットーは、「今まで出来たことが出来なくなった」と嘆かず、「まだ、こんなに出来る能力が残されている」と感謝しつつ「見守り介護」に徹することです。押入れに、ラーメンの入った丼鉢を入れても、テレビのリモコンをトイレに持って行っても、植木鉢の花を摘み取っても、叱らず、咎めず、危なくさえなければ自由に行動してもらっています。周囲の目には、問題行動と映っても、きっと姑は一生懸命働いているつもりなのでしょう。「困ったこと」、「分からないこと」何でもすぐケアマネージャーさんに相談すると、適切なアドバイスがいただけます。姑が一人で出歩くことがあれば、ご近所の方が連絡して下さいます。愚痴を聞いてくれる友人もいます。民生委員さんも声をかけてくださいます。どれも私達には大きな支えです。けれども一番大きな支えは、身内(特に夫の弟妹)からの「感謝」や「ねぎらい」の言葉です。「ありがとう」のひと言で重石のような心の負担がスーッと消えて軽くなるのを感じます。まだまだ介護は続くでしょうが、周囲の方々に支えられ、励まされ、介護サービスを上手に利用しながら夫婦二人三脚で「見守り介護」を続けます。 今日は入浴サービスの日。温かいお湯につかりながら、ヘルパーさんと、どんな歌を歌っているのでしょう。夜は、私と枕を並べて、どんな夢をみるのでしょう。ゆったりと穏やかに時間が流れて行きます。特別なことは何もしません。寝たきりにならぬ様、残された機能を活かし、住み慣れた家で、家族と共に、ごく普通に生活できれば・・・。 ただそれだけの幸せを求めて、今日も姑を見守り続けます。
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