介護体験談
呆け老人をかかえる家族の会 山梨県支部
あした葉(2003年10月25日 28号)より
介護の道
山梨県 広瀬 透
平成12年の正月、不景気の最中とはいえ、21世紀の新年は何となく活気に溢れて人々はみな黎明に向かって歩みだしたように見えました。だが私は沈みきって出発のコースの最後列に密かにたたずんでいる思いでした。それは、前年の末頃から妻の奇行が目立ち始めて悩んでいたからです。以前にも日常の生活の中で一寸変だと思う事もありましたが、歳のせいにして見過ごしてきたのです。
ところが12月初旬のある日、夕食の支度をしていた妻の悲鳴に驚いてキッチンに駆け込むと、油が高く燃え上がっていたのです。幸いにも常備の消火器で事無きを得ましたが私は愚かにも単なる妻の過失として叱責しただけでした。しかし、暮れも押し迫ったころ再び同じことが繰り返されたのです。妻の異常さを深く認識したのはこの時でした。当然その日から食油を使う事をやめさせました。
妻は以前から日記を書いていたのでこんな危ない事のあった後で私は密かに妻の日記を見ました。そして愕然としてあとは深い悲しさにおそわれました。
日記には、
何月何日 晴れ
今日は一日寒い日でした。
・・・・・〜〜〜〜〇〇〇〇〇〇〜〜〜〜・・・・・、、、、、、_______________〇〇〇〇〇・・・・・・・・、、、、、、、、、____。。。。。。。。。。。。〇〇
と、最初の2、3行は確かに書かれ、後は点と〇と棒線によって1ページが埋められ、かなり以前から毎日繰り返されていました。私が「日記に何が書いてあるの?」と問いましたら妻は「これは私しか読めないの!」と平然と答えたのです。
妻は小学校の教師として30数年在職して退職の後は町の嘱託により自宅を一坪図書館として地域の子供たちの読書を指導してきました。それを辞めて僅か数年でこの有様はどうした事なのか、言葉には表せない悲痛な思いに苛まれました。
その暮れのうちに家族や弟妹達と相談して正月が明けたら専門医の診察を受ける事にしました。
21世紀に生きる喜びとささやかでも屠蘇の気分に浸りたい思いは厳しい現実の前に私から遠ざかり、正月が過ぎてすぐ診察を受けました。数日間の検査の結果、アルツハイマー病でそれも中程度に進行していると診断されました。
その後約半年間は福祉保健課の指導、助言を受けながら自宅介護を続けましたが症状の進行に伴い7月にケアホームに入所させました。
3年余りホームの手厚い介護と専門医の治療を受けながらも症状は徐々に進み、平成14年11月にはパーキンソン病も進行して嚥下障害のため胃ろう処置の手当てを施して栄養が直接胃に入るようにしました。
現在は歩行も困難で、車椅子も自身で操作できず言語障害も著しくなり、要介護4に認定されています。
妻の発病以来、町の福祉関係やケアホームの皆さんに支えられ、コスモスの会に入会してあたたかさに接し、さらにあした葉の会に参加して多くの方の尊い経験談を聞き「介護家族の接し方十か条」など再読し介護についての認識を深めようと私なりに努力しております。
今は約二時間半、妻と面談する事を日課とし、写真を見せたり童話を読んで聞かせたり、童謡も合唱します。♪赤い靴はいてた女の子・・・♪と歌えば、妻も精一杯発声しようと唇を動かしながらタクトを取る仕草をするのを見ると胸に迫るものがあります。
若い頃には我侭いっぱい振舞ってきた私も健康であった頃の妻のありがたさが身にしみる思いのこのごろです。
この後はつらい介護の道が続くでしょうが、多くの皆さん方から学びつつ、なおまた私自身の生きていくすべを模索していきたいと考えております。
小雨に打たれて萎える晩秋のコスモスがかすかに揺れています。そんな侘しさのなかに幼児のような妻の顔を垣間見る思いで書きました。10月16日、秋雨の降る日・・・。
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