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介護体験談呆け老人をかかえる家族の会 福岡県支部版
たんぽぽ(2002年12月01日 217号)より 姑と地域そして家族藤野 節子
私の姑はこの四月、九十二才で他界致しました。 デパートのウィンドウショッピングに出かける途中、地下鉄の駅で転び「救急車を呼びますから」との駅員さんの言葉も聞かず、必死のおもいで一人暮らししている自宅にたどり着き、上がり框の所で気を失い我に返った時、声を出しても誰も居ない不安、心細さ等がきっかけで私達と同居する気になった様です。気丈な姑ですから「三ヶ月の入院を!」と云われる先生を尻目に「家に帰る」と結局通院で膝を治しました。 治ってからも以前住んでいた所の老人クラブやお友達の所に通っていました。お友達が一人減り二人減りと亡くなられたり、息子の所に行かれたりとだんだん疎遠になっていきました。それでも地下鉄で好きなウィンドウショッピングには出かけていました。 物忘れの始まりこの頃からでしょうか「長男の所に行く」と云って出かけるのですが、なぜか長男が通っていた高校の門の所に来て、自分はここに何をしに来たんだろうと帰って来たり、お友達と駅で待ち合わせをしているのに、出かける事だけが頭の中にあるのか、時間や場所の間違いなのか、先方から「待っても来られないけど、どうされたのかしら」と電話がかかってくることが多くなりました。そして、朝炊いたごはんが夕方私が仕事から帰ってくると空になっている毎日でした。 そのうちに「財布がない、通帳がない」と訴えるようになり「孫が盗った、嫁が隠す」と長男の所に電話をしていたようです。「お姑様がそうおっしゃっているけど、本当はどうなの?」と聞かれる言葉にも「本当は盗っているのではないの」と聞こえてしまい情けない思いをしながら、それでも夕方仕事から帰ると姑の財布を探す日々が続きました。 家族が学び理解する息子である夫は「俺はもう知らん」と次第に怒りだします。「お姑さん痴呆が出て来たようネ」と云う私に、夫は「お前は人の親だと思って痴呆痴呆と云うが、自分の親にそう云えるのか」と怒鳴るようになりました。しかし幸いにして私は介護の現場で働いていますので、家族のおもいが理解できたように思います。内心は姑と嫁の間柄です、おだやかであるはずはありません。 テーブルの上に痴呆に関する本の中から姑の今の現状に近い所に線を引き、置いておきました。夫と孫である私の子供達も姑を避けていたのですが、再び姑の部屋に顔を出し話をするようになりました。 在宅サービスの利用と地域の人々そうした中、姑は昼間は一人です。心配で週一回デイサービスを利用するようにしました。他の日は昼間一人です。回り廊下のようになった地域の散策に出かけます。同じ話をしたり、自分が生まれ育った関東の家が今住んでいる自分の家になっていたり、終戦前に住んでいた満州の話をしたりします。 地域の皆さんはその都度その人になりきって暖かく話を聞いて下さっていたようです。私の休みの時は情報収集日です。私も家の中の様子を話す事で皆さんに痴呆の姑の状況を理解して頂きました。 この様なとき人は、特に肉親は「恥をさらす」と云われるかと思います。しかし、私の経験から、現実から目を逸すと悪化する事がわかっていましたので、あえて地域の方に知って頂くよう努めました。昼間地域の人々に話しかけて頂ける事が楽しみになっている姑は(戸惑いは感じていたかとは思いますが)長い間地域で生活できたと思っています。時として間違って反対方向に行くと、とんでもない所の派出所から電話を頂き、孫が迎えに走る。菓子箱を持って声をかけて下さったお宅へお礼に走る。そんな日々でした。 病院から施設入所へ病気になり検査入院したものの、家に帰りたくなってパジャマのまま病院を抜け出し、警察のお世話になり夜中に発見されたり、点滴をすれば管を抜き、血だらけでベッドに立ち上がっていたりで、私は手術の後も姑に抱きついたまま休んだりしました。 ある休みの日一寸夕食の買い物に出た間に縁側からすべり落ち、出血した血を水道水で洗い流しながら「どうしたのかしら血がでてるのよ」と云う姑を見て、もう限界かもしれないと家族で話をし、病院から施設利用をするに至りました。施設の中でも、病気のせいで傾いて歩くため頻回に転倒をくり返し、ステーションの中で見守り介護をして頂きながら、亡くなる前日まで歩きまわる普段の姑のまま、苦しんだ様子もなく生活できました。 これは地域・施設に支えて頂けたからだと思っています。 家族の立場に立った施設介護を私はこの自分の姑の介護体験をふまえ、家族だけではとてもやっていけないとつくづく思いました。家族を中心に兄弟等の親族、そして病院・施設を含んだ地域の暖かい関係が必要だと。そして「家でみる」ということにこだわらず、現実の中で皆支え合い「施設利用」もしていく。“人は社会の中で”だと思いました。姑を通し家族・地域・施設のありようを学び、今後は家族の立場に立ったより質の高い介護を目指して歩き出したいと思います。
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