介護体験談
呆け老人をかかえる家族の会 高知県支部版
「ぽーれ ぽーれ」(2002年4月25日 132号)より
「罪悪感からの開放」
匿名
3月13日
姑が入院1か月
姑が入院して早いもので1か月になります。
重度多動性の痴呆の姑に、暴力や興奮が現れ始めたのが昨年の11月ごろでした。さまざまな援助を受け、何とか在宅で頑張っていましたが、在宅介護はこれが限界・・・の判断の末、入院となったのです。
罪悪感
でも、この「限界」が家族にはどうも分かりませんでした。期限無しの介護で心身共に疲れ果て、家庭も崩壊が目前にちらついている状態なのに、今まで何とか出来ていたのだから、もう少し頑張れるのではないかと、不思議なくらい次の段階へ進むことを拒んでいました。嫁の私としては、姑を入院させることに罪悪感のような気持ちもあり、いざ入院が決まった時は、とても複雑な思いでした。
そのため、病院の先生に「この状態や症状では在宅介護は無理ですね!連れてこられるのが遅かったくらいですよ」と言われた時は救われた思いがしました。
嬉しい笑顔の時
入院の日、ヘルパーさんに来てもらって、身支度を手伝ってもらい、主人とは病院で待ち合わすことにして、私の運転する車で姑と2人で病院へ向かいました。姑は、その頃、昼夜逆転していましたので、車の中でもずうっと眠って静かでした。
入院後は、行ける限り度々会いに行っています。「お母さん来たよ」と言うと、にっこり笑ってくれる時はとても嬉しいのですが、反応なしの日は何か寂しい気持ちになります。でも、幸いなことに、いつも穏やかです。
日に何度も服を脱ぐ
ところが、困ったことに、いつ行っても、衣類を脱いでいます。看護をしてくださっている方に聞くと、日に何度も脱いでしまうので、何度も着せてくださっているようです。
そう言えば、家でもそうでした。昨年の夏のことです。下着まで脱いでしまって玄関に立ち、おまけに戸を少し開けて外を見ている姿を見た時は、驚きで声も出ませんでした。
この冬も、夜中、全部脱いでしまってブルブル震えていることがあって、気付いて服を着せてあげると、何やら独り言を言って、涙を流しているのです。きっと、自分の中で何かあって、わけがあって、服を脱いでしまうのでしょう。そんな異常行動が病気の進行を物語っているようで、一緒に泣いたこともありました。
どうか穏やかに生きて
度重なる徘徊、暴言、異食など、辛い思い出が多いのですが、姑が入院して家にいないと、何故か寂しくてたまらないのです。数年間の介護を通して、姑に対して「情」が移り、姑の介護が私の生活の一部になり、辛くても一緒に過ごすことが当たり前になっていたのだと、今、気がつきました。
もう二度と元気な姑に戻ることはないと思います。息子も、孫も、嫁も、名前が分からなくなったって良いです。一緒に過ごした家族の顔を忘れないでほしい。病院へは何度でも会いに行きます。会えた時の嬉しい気持ちがいつまでもなくならないよう、どうか、穏やかに生きてほしい、と願っています。
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