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介護体験談

「老人をかかえて」富山県支部版
(2001年6月25日 216号)より

「私は介護を手伝っています」

−昭和61年12月7日の講演内容を中心に

保正 邦男

私の場合、母がぼけてきて家事ができなくなると、私たちは、共働きをしていたものですから、私の妻のしている家事、掃除、洗濯、食事の後片付けなどを手伝うようになりました。ときには母の世話も少ししました。

私は、『男子厨房に入らず』というような家庭で育ちましたので、私が家事の手伝いをするようになったことは私にとっては、一つの変化でした。家族の会富山支部が結成されて三年ほどたったころ、家族の会が、「在宅介護」という題でシンポジウムをしました。その在宅介護の副題は「男性の役割」というものでした。

それで私も報告者の一人として高いところから五〜六分ほどしゃべりました。要するに、自分の家ではかなり呆けがすすんだ母親を私の妻がみている。共働きなので私がいろいろ家事の手伝いをしているというようなことをしゃべったと思います。

そのとき富山より一年遅れて発足した石川県支部の方がこの集会に参加されていました。石川県で、どのように集いをもったらいいか勉強のために来ておられたものと思います。石川県の支部の代表Kさんが、石川県でもこのようなシンポジウムをするから、私に石川県にきて同じ内容の話をしてくれと依頼されました。

その日は昭和61年12月7日でした。それが自分のひとつの転換点になるとも知らず、軽い気持ちで引き受けて金沢へ出掛けました。題は「老人介護における家族の協力を考える」というものでした。

私は富山でしゃべったこととほぼ同じことをしゃべりました。一応の報告がおわり、会場と報告者の討論がはじまったときKさんが私に、
「法律的にいうと、あなたのお母さんは、だれが面倒をみなければならないのですか」と質問しました。

私はその方面の法律の勉強をしたこともないし、大体、法律に誰かの面倒を誰かがみるべきだということが書かれてあるかどうかということも知りませんでした。私がとまどって、
「私の母を、私の妻が介護して、私がそれを手伝っています」とピントはずれな答えをすると、Kさんはもう一度分かりやすい形で質問しました。

「いや、私の聞いているのは、あなたのお母さんを、現在だれが介護しているかということではありません。あなたのお母さんを介護しなければならないのは、法律的には息子であるあなただと書いてあるのか、それともあなたの奥さんだと書いてあるのか、どちらかと聞いているのです」

「さあ、私にはよくわかりませんが」と私は歯切れわるく答えました。するとKさんは、「ご存じないようですからあえて申し上げますが、民法第八百七十七条には、直系血族及び兄弟姉妹は互いに扶養する義務があるとあります。あなたのお母さんからみれば、あなたは直系血族です。あなたの奥さんは、あなたのお母さんからみれば婚族であって血族ではありません。だからあなたのお母さんを介護する義務はあなたにあるのであって、奥さんにはそのような義務はありません。その上、付け加えるなら、あなたのお母さんの財産は息子であるあなたがもらえるけど、奥さんはびた一文もらえない。そういう関係です。

私は、いま私の母親を自分の妻にみてもらっているけど、私の妻は私の母親を介護する義務がないのに介護してくれているので、私はいつも妻にすまないと思っています。だからこんど妻の母親が倒れたとき私はひきとって面倒をみるつもりです。

話を元に戻しますが、面倒をみなければならない息子が面倒をみず、面倒をみなくてもいい嫁に面倒をみさせておいて、当の息子はそれを当たり前と思って、私はその手伝いをしていますと言う。これが日本の現状です。私はこのあたりから家族の会も意識改革をしていかなければならないと思います」

ガーン!と頭を殴られたような思いをしました。家族の会の代表世話人たるもの、自分に介護責任があることもわきまえず、のうのうと、「私手伝いをしています」と言っていたわけですから、そのことが分かった私は、穴があればはいりたいような恥ずかしい気持ちになりました。と同時にとてもいい勉強になりました。

それ以後も介護の大部分は妻がうけもったことには変わりありませんが、自分の母親の介護は自分の仕事であり、妻にお手伝いをしてもらっているというふうに考えを改めました。

私には、もうひとつ、非常に恥ずかしい思い出があります。

自分が主たる介護者であり、妻はお手伝いにすぎないのだということを自覚したあとも、介護の大部分は妻がしていたのですが、それは、妻が退職して私がまだ職についていたので仕方がなかったということもありましたが、私はどうしても母のトイレの面倒をみることだけは抵抗がありました。何のかんのといっては逃げていました。そのために妻には「あなたの親でしょう、たまにみてあげたら」といわれたり、「あなたは私より偉いんだもんね」と皮肉をいわれたりしていました。

たまたま、私が勤めていた学校の校長にS先生という方がいました。S氏の父親は町の初代教育委員長であり、S氏は、寺の住職でもあり、高等学校の校長でもあり、家がらといい、現在の地位といい、町では名門のかたです。学校では公式の場で校長さんといっていましたが、二人だけの場になると、年齢もそう離れているわけでもないので、私は気安くSさんといっていました。S氏には、やはり高齢の母親がいて、私の母より先に亡くなられたのですが、たまたま二人だけのときお互いの母親の話になりました。私が、
「それで、Sさんの場合、お母さんの下の世話は奥さんがされているんですか」と言いますと、S氏は、ごく自然にこともなげに、
「僕がするよ、そんな、自分の母親の下の世話をどうして女房にさせられますか」 と言われました。

私はこのときもガーンと頭を殴られたような気持ちになりました。
「もっとも、もっとも」
といって私は笑顔を作っていましたが、おそらく引きつった笑いになっていたのではないかと思います。

その時の私の気持ちは、名門といわれる家がら、そして学校でも校長の地位にある人でさえこうなんだ、一方、家族の会の代表世話人だといっている自分はどうなんだという気持ちで、内心非常に恥ずかしい思いでした。

その日、帰宅して思い切って母のトイレの世話をしました。かなり思い切ってやったのですが、一度すればどうということもない、自分が何にこだわっていたのかさっぱりわからないという状態でした。

私の場合は、このように恥をかく思いをして、少し自分が変わったかと思っています。

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