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介護体験談 「老人をかかえて」大分県支部版
「赤いりぼん」(2001年1月25日 No.60)より 妻の笑顔が私の宝桑野 兼市
人々はこの世に生まれてくると、それぞれの運命を背負って成長して行くと言う。 私の妻も後半は、避けることのできない運命が待っていたのか、不治の病、アルツハイマー病と診断を受け、私は一瞬愕然となった。(平成5年8月) 二人揃って老後を楽しく暮らそうと語り合った、ささやかな夢が、大きな雪崩のように流された。只、運命のいたずらと言うにはあまりにも辛い、苦悩に満ちた道ではないか。数年間、医者通いをつづけたかいもなく、こんな結果とは、夢にも思いませんでした。現実の厳しさに、打ち砕かれそうな日々を耐え抜き、妻を支えていかねばと...。 病気の進行は早く、社会生活は無理でも日常生活は、テンポは遅いが私がついていれば何とかできた。二人三脚の生活が始まる。朝の散歩と運動、気晴らしを兼ねて神社仏閣参り、スーパーの買い物と、共に行動する。ところが、レジの前で支払い中に妻がいなくなった。徘徊のはじまりです。(平成7年3月) その後は、私の隙を見ては徘徊を繰り返し、親戚や近所の方々の応援を得ては探し回る日々がつづきました。名札と電話代の入った袋を持って、気の向くままに家から逃げ出します。妄想にかられて、何かを求めて歩き続けるため、車の事故に遭うのが一番心配でした。 在宅介護で24時間の気配りと、私一人での社会生活のつとめ、家事、日常生活の切り回し等、だんだんと疲労がたまり、ついに体調を崩し、民生委員の勧めで妻の施設入所を決めました。(平成8年10月) うつ病併用の痴ほう症のため人前に出るのが苦痛を伴う妻が、施設の大勢の仲間と共同生活に早く溶け込んでくれるようにと、祈るように願っていました。優しく、親身になって介護してくださる寮母さんたちのおかげで、落ち着いた毎日を送っています。 現在要介護度5で、車椅子の生活ですが、私が会いに行くと、笑顔で迎えてくれます。この笑顔が私にとって何よりも大きな幸せです。 「家族の会」の皆様方、いつも励ましのことばや支え合うことばを、ありがとうございます。
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